2018年1月27日土曜日

「ぱっと見」の引力の重要性

チラシとかで文字量が多すぎると誰も読んでくれませんよ、とこれまで打ち合わせ等で幾度となく訴えてきたことではありますが、最近の若者事情を聞くに、僕の想定する「文字量」ですらも多すぎるのかなとも思います。





インスタ女子が語る「LINE衰退説」 ストーリー起点からの「脱線おしゃべりDM」がチャットアプリの入る隙間を潰している話。

(以下、各SNSの説明については省略)
上の記事曰く、取材を受けている20代女性にとってはInstagramのTLですら読むのが面倒くさい。インスタのストーリーを「流し見」し、友人との会話もその中で済ませてLINEも使わない。ましてTwitterなんて文字ばかりで新聞みたいなので全然使わない、と。ツイッタラーの僕としては軽く衝撃です。

だがしかし、かく言う僕もニュースや新聞はRSS(過去記事参照)にてチェックしていますが、1日300件近い記事を読むのは無理なので、見出しだけにささっと目を通して、興味がある記事数件〜十数件だけ読む、もしくは頭の片隅に入れておいて必要になったら後で検索する、という情報収集を行っています。

件の女性も僕も、文字を読まなくなったというよりは情報過多で目を通すものを厳しく選別している、というお話なのだと思います。
テレビや広告、本はもちろん、WEBニュース、Twitter、Facebook、LINE、Instagramなどなど、目に入る情報はかつての何十倍にも膨れ上がっています。だから「ぱっと見」でそれが見るべき価値のある情報か判断して過ごしているわけです。

例えば最近流行ってきているブログサービス「note」なんかを見ていると、長文記事が普通のブログですらも昔と書き方が変わってきたなと感じます。余計な挨拶は排除し、1行目2行目でいきなり主題やキャッチーな1文をぶつけるという「出だし勝負」が主流です。同様に漫画雑誌だって表紙はイラストがドドドンと前面に出てきて、キャッチコピーはおろか雑誌の名前すら潰れて読めないのをよく見ますし、赤いテンプレートでイラストだけ差し替えた表紙デザインでおなじみだった某少女漫画単行本も個々に凝ったデザインに変わりましたし、ライトノベルだって英文の日本語訳かなってくらい説明的なタイトルが流行りました。どれもこれも若者に「ぱっと見」で切り捨てられないよう工夫してきた末の表現なのでしょう。

チラシというのは情報を伝えるための媒体ですので、できるだけたくさん情報を詰め込みみたくなるものではありますが、「ぱっと見」で切り捨てられては伝わる情報はゼロです。ついでに若者は興味があれば自ら検索する人が大多数ですので、そこは勇気を持って情報を取捨選択するのがこれまで以上に大切になるのではないかと思います。

そして僕も「ぱっと見」の引力を引き出せるグラフィックデザイナーになれるよう、日々精進していきたいと思います。